「旅の宿家」鳥取境港❝縁❞ ブログ(^^♪

とにかく「旅」が好きな自由人。
「旅そのものと境港・水木しげるロードを楽しむ」に拘った「旅の宿家」(ゲストハウス様式)を、2016年8月26日にオープンしました。
https://guesthouse-en.jimdo.com/
女性客とファミリー主体の”遊び心”いっぱいの寛ぎの空間です!
米子や大山、松江、美保関、隠岐などへの起点としても生かせる「妖怪と魚の町」を楽しんでください!

アーケード撤去こそリニューアルの目玉

「水木しげるロード」の、本町アーケードの撤去工事が始まりました。

個人的にはリニューアル工事の成否において、このアーケード撤去こそ重要なカギを握ると思っていました。リニューアルそのもの以上に「大賛成」で、撤去が始まったことを喜ばしく思います。


「水木しげるロード」は、「JR境港駅前から本町アーケードまでの一本の道」ですが、道路の形態が違うことによる「特別感」が生じてしまい、休日などは、アーケードが醸し出すイメージによって“勝手に歩行者天国状態”が起こっていました。
また、車で来る観光客がアーケード内にある「水木しげる記念館」を目印にして付近の民間の駐車場を利用し、観光マップを持たず(案内所にも寄らず)散策するため、ロードの全体像を把握していない人が多くなりました。民間の駐車場が増加して、車で来られる人の動線を完全に壊してしまい、残念に思っていました。駅前ホテルの建設で催し会場がなくなったことなども含めて、徐々に「記念館中心」の考え方になっていたようにも感じました。


私は1998年ごろから「観光客として水木しげるロードを楽しんで」きて、“外”からの目として、この状況に違和感を覚えていきました。
「水木しげるロードあっての記念館建立」だったはずが、アーケードという存在の特別感と相俟って、観光客に「記念館が中心の水木しげるロード」という刷り込みができてしまったと思います。


実は、「水木しげるロード」が誕生した時、「本町アーケード」は含まれていませんでした。
また、「水木しげる記念館」も、もともとは松が枝町の別の場所に建設される予定でした。


2003年3月、現在の地に「水木しげる記念館」ができたことで本町アーケードも「水木しげるロード」に含まれるようになり、徐々に店舗も増えていったのです。
その「歴史・変遷」は、とても重要です。
「水木しげるロード」が誕生して20数年がたち、「原点」を知っている人は皆、町づくりの中心から離れています。そのため、これらの史実が語られることもありませんが、特にアーケード内に記念館ができたことは「人の流れが変わった」「ロード全体の一体感が薄れた」「アーケード内は“特別”という雰囲気が生まれた」――など、「歴史・変遷」として重要な意味を持つのです。
本町の加盟自体の是非ではありません。その地だけ「道路の形態が違ったこと」が及ぼす影響があった、と思うのです。荒天時に雨を凌げることで滞在時間が上がったり、「公共交通機関で境港駅側から歩く人」には「起点」→「終点」の感覚が明確にもなるなど、プラス面の効果も大きかったとは思うので、「原点」が守られたうえでのことだったら、と感じるだけです。


もし、当初の計画通りの場所に記念館が建てられていたら「本町アーケードは水木しげるロードに入らなかったのではないか」、そして、今回のアーケード撤去もですが、リニューアル計画すらもなかった可能性もあると思います。
それだけ、大きな存在であり、町を変えてしまった存在でした。「貢献」という意味でも、「変化」という意味でもです。


今回、アーケードが撤去されることで、「特別感」は払拭され、「道路」としての差別化を感じることがなくなるでしょう。また、ブロンズ像の再配置で「境港駅の周辺に鬼太郎など水木作品の主要キャラクターを設置すること」で、駅前のにぎやかさが増すと思われます。「人の流れ」は変わるかもしれません。
現在は「車で来られる人の動線ができていない」ですが、これも駐車場の整備が進められて、リニューアルにおいて目指しているとされる「境港駅をスタート、記念館をゴールという位置づけ」ができれば、ロード全体の平等な一本化につななると思います(市の方向性は「団体」に向けてですが、個人的には「個人客」の流れを、そうさせるべきだと思いますが)。


アーケード撤去は、自分の見方としては「理想形への大きな前進」です。
空が広がるとともに、未来への道筋が広がった気がします――。