「観光客」としての20年
水木しげるロードの大リニューアル完成から2カ月が過ぎました。
そして、自分が「観光客」として初めて水木しげるロードリニューアルを訪れてから、20年がたちました。
当時、勤め始めたばかりの新聞社が島根県の地方紙と繋がりがあったことで水木しげるロードに関心が芽生え、20年前の9月の連休に山陰旅を決行。このとき、鳥取県は学生時代に次いで2回目、島根県は初踏破でした。
その時の印象は――、
「楽しい」と「安らげる」に尽きました。
もともと「まちづくり」や「観光での商店街活性化」に関心があったのですが、「まちづくり」の本質を“衝撃的”に感じ、先例のない取り組みと、故・水木先生の生き様を受け継いだ町の人の“遊び心”に惚れ込みました。
ブロンズ像や店は現在の約半分、まだ水木しげる記念館は存在せず(現在とは別の場所に計画中でしたが、翌年に発生した鳥取県西部地震などで延期)、今ほど徹底していたわけでもありませんでした。当時は“町歩きが好きな旅好きの個人客”が、今よりもはるかに多かったと思います。
「こんなに楽しい! 妖怪の町」(五十嵐佳子:著、実業之日本社:2006年刊)の、特に素晴らしい一文を引用して表現します。
≪もしかしたら、なんでもない町のたたずまいに、あら、と拍子抜けする人もいるかもしれない。昭和30年代を思わせる、いかにもひなびた感じの商店街だ。同じようなお土産をどっさり並べた、どれがどれか区別がつかないほどよく似たお土産屋さんがざわざわと軒を連ねる町を思い描いていたなら、たぶん、ものたりなさを感じてしまうかもしれない。
でも、このなんでもなさが、徐々に効いてくる。
ふだん着の町だからこそ、じわじわとおもしろさがにじんでくる。
町の人々の日常に、妖怪のエッセンスが無理なく自然に溶け込んでいるからこそ、やがて人の世界に、妖怪の世界が淡く二重写しにみえてくる。そして、じんと、心にしみてくるのだ。
それが妖怪の町・境港と、これみよがしなつくり物の観光地との大きなちがいといっていい。≫
2時間くらいの滞在で、こういう感覚に“はまり”、すごく新鮮さを覚えました。
全く時間が足りず、約20日後に急遽、再訪したほどでした。
観光地化が進みかけてお土産品も置いているのに、なぜか「商売っ気」を全く感じなかったこと。それでいて、コミュニケーションが楽しめたこと。「店の中で寛いでいてほかの旅人と親しくなる」といった雰囲気があって個々の店の強烈な“個性”に、嵌り、その中で徐々に、自分に合う店や好みが出てきました。
「旅先で知り合った人」とは親交が続くものですが、「店」という空間を介するのが水木しげるロードの大きな特徴で、その空間が醸し出す居心地の良さに時を忘れがちになりました。だから、ほかの土地よりも親しくなる人が多く(回数を訪ねてきたのもありますが)、特に10年ほど前にロードで知り合った2人の男性とは、旅仲間として今も深い親交があります。
まだ創世期の雰囲気のまま伝え続けている店もありますので、ずっと受け継がれてほしいです。
今、町のイメージは一新されました。
時代の変化もありますし、客層も変化していますし、すべて「昔は良かった」とは思いません。
「今のほうがが良い」と思えることもいっぱいあるわけで、その中で「もっと」を考えたいのと、“想い”の部分で、創世期に感じた“感覚”を大切に抱いていたいと思います(人によって「良い」と感じる部分は違いので、あくまでも「自分が感じる意見」です)。
今、「住居」を構えてはいますが、気持ちの上では今も「観光客」です。実際は「住む」と「旅する」は全く異なるもので、本来は折り合いをつけるべきこともあるのでしょうが、いわゆる“大人の付き合い方”ができないタイプので、結局「外」からの感覚でしか生きられません。
今昔それぞれの良さが融合して、もっともっと魅力的な観光地になってほしいので、“目線”としては「観光客」に拘っていきたいです。
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